80年前の8月9日、長崎にアメリカ軍機により原子爆弾が落とされ7万4千人もの人が亡くなりました。
その3日前の8月6日には、広島に原爆が投下され9万人が亡くなりました。
それから80年目の今年、長崎での原水爆禁止世界大会に支部組合員がご家族で参加されました。
開会全体会
17か国約200人の海外代表を含む2,000人以上が参加
ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の田中煕巳代表委員の被爆証言より(一部ばっすい)
「・・・(おばたちを荼毘に伏して骨を拾った後)帰る道には遺体が何十人、
何百人と転がされているところを見ざるを得なかった。
こんなことをやっていいのか、
戦争は殺し合いと同じではないかと強く感じた。
・・・風で飛ばされた子どもが壁にへばりついたまま、真っ黒に焼けている状況などを見て、なんだこれはという思いを強く持った。・・・
(戦後)兄と母との3人、固形物が口に入らない状況が1週間続くことが何回かあった。
・・・核兵器を使ってはいけないという世論を高めて、核兵器禁止条約にほとんどの国が参加するよう急ぎたい。
原爆がもたらす非人道的で残忍な状況を世界中に知らせ、核兵器を使わせず、なくす運動に結集していただきたい。」
長崎の原爆資料館にある原子爆弾の模型も見てきました。
支部組合員や職場の先生方から寄せられた千羽鶴を資料館の方に渡してくださいました。
全国から寄せられた千羽鶴
家族で参加され、印象に残ったこをお聞きしました。
「路面電車の中でのことです。
席を譲ったお年寄りが被爆者で当時中学生で丘の上に住んでいたそうですが、ものすごい爆風だったようです。
こんなに身近にいらっしゃるなんて!驚きました。
数分でしたが、とても考えさせられました。
そして、小1の息子がそのお年寄りに
『原爆で大変でしたね』
と声をかけていて、この世界大会の意味をきちんと理解しているのが印象的でした。」
(詳しい報告は、後日支部ニュースでお知らせします)





