被爆体験談 木村一茂さん
平和の集いで語ります
ご参加お待ちしています
ノーベル平平和賞を受賞した日本被団協の東京の東友会副会長の木村一茂さんが語ります。
8月26日にNHK番組で語った一部を紹介します。
2025年8月26日
▽明日へのことば
▽「1歳の被爆者 証言を始める」
被爆者・元会社員 木村一茂さん
放送されたお話の一部をご覧ください。
〇父が被爆した日は、朝に自転車で市役所に行く中途で、よく晴れた空にB29が飛んでくるのが見えたそうです。
B29から光るものが落下したというので、伏せたとたんに閃光と爆風に襲われたと言っています。
自分の上には一杯瓦礫がかぶさっていたそうで、それをどけておき上がったら頭から一杯血が出ていたそうです。
持っていた風呂敷で止血をして、軍の自転車なので捨ててゆくわけにはいかないので、担いで避難所の方に向かったらしいです。知っている軍医がいたので治療をしてもらおうかと思ったが、怪我をした人が沢山集まってきていて、自分が頼めるような状態ではなかったそうです。
諦めて宇品の部隊に向かったそうです。・・・
〇母は縁側で生まれて8日目の弟に〇〇〇を塗っていて、閃光が走ったので驚いて隣の部屋に飛び込んだそうです。
元の場所に戻るとガラスの破片で一杯だったと言っています。
姉は庭の片隅で血を流して(耳の後ろを切って)佇んでいたそうです。
私と姉は飛ばされた様ですが、私は無事だったようです。
避難しようと山の方に出たらしいんですが、途中では山から下りてきた人に出会って、皮膚がぼろきれのように下がっていたそうです。
着く頃には大粒の雨が降ってきて慌てて防空壕に避難したそうです。
黒い雨で放射線をたくさん含んだ雨だったようです。
語り継ごう!ヒロシマ・ナガサキ・戦争
10月4日(土)14時より
会場 北多摩東教育会館
JR中央線 東小金井駅 nonowa口 徒歩3分
◆1部 原水爆禁止世界大会長崎の参加者からの報告
報告:三鷹市の青年教職員
◆2部 被爆者の体験
(ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の方を予定)
主催・都教組北多摩東支部
「市内の学校の方々から寄せられてた平和の祈りが込められた折り鶴を届けた。
路面電車内での出来事。席を譲ったお年寄りの方が、被爆者で当時14歳の中学生。
丘の上に住み、ものすごい爆風だったとのこと。
生の声を聞き、被害をより身近に感じることができた。」
「被爆遺構巡り。
爆心地であった長崎大学医学部などを回り、当時の人々の思いを読み取っていく。
辛い、悲しいという一言で終わることのない、人々の叫びが伝わってきた。
原爆資料館では、当時の被害が分かる貴重な資料があり、小学生の2人の息子の心にも突き刺さったようだ。」
「原水爆禁止実現へ、平和への願いが伝わる大会。
被爆者の体験を聞き、若い次の世代に語り継ぐ必要性を感じる旅になった。」
【参考資料】日本被団協HPより
ノーベル平和賞受賞にあたっての日本被団協の記者会見より
(一部ばっすい)
■日本や世界の10代20代の若い人に向けてどう伝えたいか
私たちが思うのは、本当に実相を知ってほしいということです。
核兵器が使われたらどういうことになるか。それをみんなが分かるようにするにはどうしたらいいか。
いまこの受賞が決まって、被団協が被爆者が何をしてきたのかというのを、やっぱり一生懸命これは伝えるべきであるということ、これが一つの大きなチャンスになるというふうに思っております。
若い方々は、高齢化した私たちができないようなことを、どんどんやって広めてくださってますけど、それに心を寄せていただければ。
機械的なものではなく、血の通ったものと言ったらおかしいのかも知れませんが、そういうふうな思いで、本当にご自分たちのこととして受けておいていただければ、と思っております。
参加費無料
ご参加お待ちしています。
8月22日、「学級内で支援を要する子どもたち(不登校ぎみな子も含め)への指導」をテーマに3本のレポートをもとに研究会を開きました。
厳しい実態のリアルな報告でしたが、子どもに寄り添う姿から多くの事を学び合いました。
その中から、支援を要する子どもへの指導のについてその一端を報告します。
支援を要する実態
◇立ち歩き・教室から飛び出す
◇話が通じない、話をしても目が合わない
◇何もやろうとしない
◇すぐ暴れる
◇話を聞きとる時間のなさ
◆不登校になった過程の報告も
こうしたリアルな実態が次々に出され、「うちの学校も」と頷く姿が会場のあちこちで・・・
子どもは一人一人違う・その子への支援と学級づくり・職場の支え合い
(レポートと交流会の中で)
〇子どもを見る目・・・困っている子=子ども自身が今の自分にやりきれない思いで暴走してしまうのではないか?
〇職場の支え合い(支援員やアシスタントと子どもがコミュニケ―ションがとれて効果が出ている報告も)
〇子どもの居場所(サポートルームの大切さ・校長室が居場所の子もいるとの報告も)
〇失敗しても認められる教室の空気をつくる学級づくりのレポート

〇興味あることに目が向いたことを大切にしている

家庭の事情から給食は楽しみという子への学級の取り組み報告なども)

〇心地よい体験がやがて自立していく力になると経験からの発言
〇1日の課題メモ(手紙)などの工夫で、子ども自身が見通しを持てる工夫の報告
〇無理をしない・させないように課題の70%が出来ればいいと考えて課題を出しても全く受け付けない・・・たまにやったらラッキーと担任が思うようにしている。
〇不登校だった子どもが登校する気持ちになった時のアドバイス報告
●不登校についても、レポート報告をもとに様々な意見交流
(アンケートより)
💛つながりを切らないことが子どもが安心して学校で過ごすために大切だと再認識した。
💛飛び出してしまう子が、「教室で先生といるほうが、落ち着く」というまでに変わったレポーターの先生の子どに寄り添う姿を学べました。
💛職員室を温かく、学級を温かくしていきたいと思いました。
💛老若男女、みなが悩みを分かち合い解決していきたい。
💛「語りたい過去(体験)がある」という報告を聞き、今見ている子どもたちに出来たらいいなと思いました。
💛「(指導には)マニュアルはない」とのレポーターの言葉、その通り。試行錯誤しながらやっている。レポーターの学校の校長ガッツがあっていいですね。
💛不登校の子・困っている子の支援は一人一人違うと感じ、関わり方について学べました。
語り継ごう・ヒロシマ・ナガサキ・戦争
10月4日(土)
会場:北多摩東教育会館
1部:原水爆禁止世界大会(長崎)に参加した先生からの報告
2部:被爆者の体験(予定)
80年前の8月9日、長崎にアメリカ軍機により原子爆弾が落とされ7万4千人もの人が亡くなりました。
その3日前の8月6日には、広島に原爆が投下され9万人が亡くなりました。
それから80年目の今年、長崎での原水爆禁止世界大会に支部組合員がご家族で参加されました。
17か国約200人の海外代表を含む2,000人以上が参加
ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の田中煕巳代表委員の被爆証言より(一部ばっすい)
「・・・(おばたちを荼毘に伏して骨を拾った後)帰る道には遺体が何十人、
何百人と転がされているところを見ざるを得なかった。
こんなことをやっていいのか、
戦争は殺し合いと同じではないかと強く感じた。
・・・風で飛ばされた子どもが壁にへばりついたまま、真っ黒に焼けている状況などを見て、なんだこれはという思いを強く持った。・・・
(戦後)兄と母との3人、固形物が口に入らない状況が1週間続くことが何回かあった。
・・・核兵器を使ってはいけないという世論を高めて、核兵器禁止条約にほとんどの国が参加するよう急ぎたい。
原爆がもたらす非人道的で残忍な状況を世界中に知らせ、核兵器を使わせず、なくす運動に結集していただきたい。」
長崎の原爆資料館にある原子爆弾の模型も見てきました。
支部組合員や職場の先生方から寄せられた千羽鶴を資料館の方に渡してくださいました。
家族で参加され、印象に残ったこをお聞きしました。
「路面電車の中でのことです。
席を譲ったお年寄りが被爆者で当時中学生で丘の上に住んでいたそうですが、ものすごい爆風だったようです。
こんなに身近にいらっしゃるなんて!驚きました。
数分でしたが、とても考えさせられました。
そして、小1の息子がそのお年寄りに
『原爆で大変でしたね』
と声をかけていて、この世界大会の意味をきちんと理解しているのが印象的でした。」
(詳しい報告は、後日支部ニュースでお知らせします)